ミャンマー学生寮支援

学生寮の建築は具体化していませんので、同じ地域にある学生寮の運営の支援として、8月に1000ドル送金しました。ミャンマーの教育支援を継続いたします。

8月8日 ミャーさんからのメール

Thank you very much for you sending money for students.
I received about 960000 Kyats yesterday in account.
There are 17 students and 2 staff in Hpekone hostel.
We will use for student ‘s stationary and clothing and one big
electric rice cooker for their.
And 2 guide staff salary.
I will make detail budget and give report to you after using it.
And with their pictures will send to you.

ミャンマー学生寮建設       

長年にわたってカンボジアの教育支援として学校建設に取り組んできましたが、2008年からミャンマーで学生寮の建設と運営を支援しています。今年で2年目です。昨年は土を取得し、今年は建設に取り掛かるようにち地方政府に申請しています。今後の自立のためにコーヒーの苗木、320本、果物の木などを植えました。

2010年2月15日 ミャーさんからの報告

地方政府からの建設許可がえられないため、学生寮の建設に取り掛かれませんが、井戸の掘削やコーヒーの栽培など予定されていた事業はすすんでいます。
近況の写真です。

 

   
2009.9.3 ミャーさんからのメール
コーヒーの苗木320本と果物木200本を植えました。雨季が終わりますので、来週には井戸を掘ります。井戸堀とタンクで予算は15万円です。また、寮建設のためのレンガを焼くために、木材を確保しようと思っています。まだ、建築の許可はおりていません。

9月4日、井戸掘りがはじまりました

  

 Naw Lee Myarさん

私の夢、中学校にいけるように学生寮をつくること  Naw Lee Myar
私の名前は、ナウ リー ミヤーンです。リーは光りという意味で、お祖父さんが私が人々の光になるようにとつけてくれました。両親は農民です。大豆、ニンニク、玉葱やコーヒーなど栽培しています。私は9人の兄弟と2人の姉妹があります。父と2人の兄は農作物を買い入れ業者に販売する仲買を行なっていますが、市場が軍と仕入れ業者に支配されているため、仕事を続けることができません。私の夫は5年前、3人の子供を残して胃がんで亡くなりました。私の幼い子供が死んだのは生後2ヶ月でした。私は教会から5000 Kyats=500円を月給としていただいています。毎日の生活は大変です。しかし、いつか神の助けによってこの状況を克服したと思います。難しい問題が一杯ですが、家族と地域の人たちのために収入向上に努めたいと思います。
  私の働きについて紹介させていただきます。1993年神学校を卒業し、1994年から2006年までカヤプバプテスト教会の女性グループの幹事として働きました。裁縫クラス、手工芸、食品加工、小口貸付けなどのプログラムがあります。ほとんどは人里はなれた農民で家族を支えるに必死で す。両親が貧しいためにほとんどの子供は、中学校、高校を卒業できないで退学してしまいます。両親が畑仕事に忙しく、弟や妹の世話をしなくてはなりません。ある子供は家族を支えるために町に家政婦として働きにでます。そこでは様々な人権問題があり子供たちはその被害に会っています。
  無学なために家族の世話の仕方を知らない年少のうちに結婚します。2005年から2006年まで人身売買から子供を保護するために地域のオルガナイザーとして働きました。私は多くの被害者のケースを知るにいたりました。子供たちは雇用主によって圧迫され虐待を受けています。多くは無学のためにこのようなことが起きています。
  そこで私は子供たちに教育を与えることが何より重要だと思います。ほとんどの村には中学校、高校はありません。そのため小学校を卒業すると町の学校に行くための学生寮が必要です。この学生寮を作り維持することが私の夢です。
  どうか夢の実現のために皆さまご支援ください。よろしくお願いいたします。

ミヤンマー訪問報告(2008.3.26-4.4.)        松木 傑

写真:左上 現在の学生寮、男女80名収容      右 KNPLFが運営するコーヒー園 後ろの山の麓で第二次大戦中に日本軍と戦闘があり、村人7名が戦死した。 
用地の取得、寮の運営に当たるメンバー、取得した20エーカー(2万4千坪)の土地 

 2008年3月26日成田を出て同日夕方、ヤンゴンに到着しました。アジア学院の研修を受けたミヤンマー・バプテスト・コンベンションの会長をされているシャカワエイ牧師が出迎えてくださり、翌日は2つの農業研修センターを訪問しました。一つのセンターは現在使用されていませんが、研修が充実して成功するに従い政府が、研修会を開くと1回ごとに負担金を請求して金額をどんどん増額して、結果として閉鎖に追い込まれたためです。コンベンションの現在の目標は、教会数を1500から2000まで増やすことだということです。現在会員は35万人だそうです。翌日、Heho空港まで1時間、ミャーさんが出迎えてくれて、それから凸凹道を5時間かけて、Kaya州の州 Laikawに到着しました。ミャーさんが属するKaya Baptist Assocciationは1983年に元のバプテストから分かれて伝道を開始した教会です。Kayaの中でさらに方言が分けれているとのことで、分かれて協会を作ったそうです。現在、40教会、会員は4千人です。
  30日の礼拝は、事務局長の Kyaw Htoo牧師の教会に出席しました。4月1日からはじまる伝道25年の記念会に集まった青年たちも参加して礼拝堂は一杯でした。あとで聞きますと会員の多さにかかわらず教会の財政は逼迫して、事務局関係スタッフ20名の年間予算は6千ドル(60万円)ほどで、ミャーさんの給料が500円でボランティアで働いているというのが理解できました。公務員の月給は30ドル、ヤンゴンのコンベンションのスタッフは25ドルと言っていました。Kaya州は、外国人が入れない地域で、何度も宣教師が入国(入州)を申し出たが拒否されているそうで、私が最初の牧師であると紹介されました。今回は私がフェアトレードでコーヒーを取引していることをミャーさんが強調して入州が許されたようです。従って参加を予定していた教会行事には参加しないで、コーヒー産地をKarenni Nationality Peoples Libration Front(KNPLF)の副議長の案内で、銃をもった兵士に護衛されて訪問しました。Kayaには7つの政治的組織があって、5つはミヤンマー政府と妥協(平和合意して、戦争を停止)して共存しています。Frontはそのなかの最大グループで、まだ武装解除していなく、みずからの占領地域を治めているようで、広大な地域にコーヒーを栽培しています。2つのグループは戦争停止に合意しないで、ジャングル地帯で争っています。その地域の人たちが、難民となってタイ国境の難民キャンプに住んでいます。カレン族のほか、シャン族も戦っています。
  カレン族の中もさらに分かれていて、今回ずっと同行してくださったMyar Doo Myarsさんはチェンマイのパヤップ大学で言語学を学び、カレン語から現地の言語にさらに翻訳して、新約聖書の翻訳が完成し、記念行事で献呈するそうです。アメリカ人の言語学者とチームを組んで1節1節翻訳しているそうです。
  今回の訪問の目的は、ミャーさんの夢である中、高学校に行けない山岳地域の子供たちのために学生寮をつくるための準備で、購入予定の土地を見ることと、この計画を実行するための委員会を設置してもらいその方たちにお会いして計画について話し合うためでした。
その目的は十分に果たすことができ、感謝しています。今後が楽しみです。